Minami Ueda

栗ヶ丘小学校, 長野県小布施町
2019/09/01

去年の4月に惜しまれながら閉店した「新宿ボンベイ」が代々木で再オープンしているのを知り、今日はそこで友達とランチ。自分の中でインドカレーといえばここ!という位お気に入りのお店だったから、こうしてまた食べられるようになったのは嬉しい。JR代々木駅北口から徒歩2分ぐらい。


ここ最近の出来事の振り返りを含めていろいろ話していたのだけれど、個人的にとても印象に残っているのは日本の「受験」の話。小学生から日能研やSAPIXのような塾に通い、中学受験で中高一貫の進学校に合格し、高校では鉄緑会に通い、そのまま東大京大のようなトップ大学に入る。首都圏にいる"トップ層"の高校生だとそこまで珍しくないと思うのだけれど、このトラックは本当に正しいのだろうかと少し疑問を覚えるようになった。

子供自身がこのプロセスに納得していて勉強が楽しいと感じられているのであれば全く問題ないと思う。でも仮に、親が子供の意思に反して行動の制約などをかけながら(半ば脅しながら)、このトラックに乗ることを強制していたとしたら?世間的に「エリート」や「勝ち組」と言われていたとしても、こういう境遇に置かれた当の本人たちは辛いのではないか。家と学校と塾という3拠点を行き来する毎日、周りにいる大人はみんなが口を揃えて勉強勉強と言って逃げ場がない。助けを求められる人もいない。この視点は、今日いろいろなエピソードを聞いて初めて持つようになった。

子供が少しでも"良い将来"を送れるようにと、教育に対して最大限の投資と応援をするのは親だったら当然かもしれない。でも、それが親の思いに反して空回りしたり、子供に対して辛い思いをさせてしまったりすることもある。親が子供に抱く「こうなってほしい」像は、度がすぎると重すぎるプレッシャーや圧力にもなりかねない。親としての希望と子供自身の希望のバランスをどうやって保つのか。当事者になってみないと分からないことだらけだろうけれど、今想像してみるだけでも難しい。


もし仮に、大学に入るまでの人生で、すべての評価軸が勉強の出来や受験の結果だとしたら?ここでは「たられば」で語っているけれど、実際にそういう世界も存在しているのだと思う。受験制度も少しずつ変わってきているけれど、勉強や学校「だけ」が全てではない社会になっていったらいいな。親や家族からの圧力に押しつぶされることなく、より多くの人がのびのびと思春期を過ごせる社会をつくっていきたい。