
就活を通して変わってしまう人って多いのではないかと思う。就職難易度、派手さ、かっこよさ、友達や親の反応、安定性、無難さ。周囲から迫ってくるこのような波に気がつけば飲み込まれていて、自分では何も考えていなかった…と。いびつな形のピースを周りの人から与えられ、それっぽい完成像を目指して上手く組み合わせていくようなもの。器用ではあるけれど、組み立て手は完成形に対する意思を持っていない。そのピースや完成図は自分がゼロからつくったものではないのだ。
流されるのは簡単だし、その流れに乗ったほうが楽かもしれない。でも、就活に限らず日々の決断を流されるがまま行っていたら、誰の人生なのかわからない。誰かに言われたことを鵜呑みにしてそのまま従うだけでは、ロボットやコンピュータと変わらない。他の人がやっていることを真似しているとしたら、それはただのロボットではなくて量産型のコピーロボットだとも言える。周りがやっているから同じことをする、わからないから答えを他の人に聞いてみるという行為は考えていないのと同じだ。
せっかくこの世に生まれたのだから、自分で未来を切り開きつくっていくという心を持ちたい。ぼーっと生きていたら簡単に流されてしまうからこそ、意思をもって自らを定義することが大事なのだと思う。自分らしさをどう表現するのか、自分はどういう価値を生み出したいのか、自分はどのような影響をもたらしたいのかは人によってきっと違う。影響を及ぼしたい範囲は数人という小さなスケールかもしれないし、国家や世界というとてつもなく大きなスケールかもしれない。生み出す価値の方向性も、アートかもしれないしサイエンスかもしれないし、人とのつながりかもしれないように、無限大の可能性がある。あくまでもこれらは他者に規定されるものではなく、自らが定義するものだ。
受験勉強のような「どこかに答えがある」あるいは「誰かが教えてくれる」というマインドセットは過去に置いていかなければいけない。自分らしい答えを自分でつくりだしていくのだと心に刻んで、前に向かって生きていきたい。
さあワイルドに、未来をつくっていこう。
写真は青山学院大学正門にて