PhD留学記 #1 - 最初の学期を終えて (2024年12月)

Shot on iPhone.
2024/09/14. Charles River Esplanades, Boston, MA, USA.
以前の投稿から半年近くが経ち、身の回りではさまざまなことが変わった。何といっても最大の変化はアメリカの大学院で PhD を始めることに伴い、2年半ほど住んだ京都からボストンへと生活の拠点を移したということ。本当は8月の渡米直後に留学開始の報告を兼ねてブログを書こうと思っていたのだけど、生活に慣れ始めたかなというところで授業が始まって忙しくなってしまい、筆を動かすことなく4ヶ月近くが経ってしまった。
ようやく学期が終わって自分のことだけを腰を据えて考える時間をまとまって取れるようになったので、留学記として文をしたためることにした。この留学記では、近況報告を兼ねてここに至るまでの経緯を記録すること、そしてその過程で考えたことを自分の中で言語化することを目的としたい。
書いているうちに「あれも入れたい」「これも入れたい」と自分の中で盛り上がってしまい結果的に30,000字近くなってしまったので、まず冒頭に ChatGPT 4o による全体の一段落要約を置いておく。本当はさらに書きかけたことがあったものの、流石に長くなりすぎたのと、整理しきる余力がなくなってしまったので思い切ってボツにした。これらはどこかの機会で切り出して投稿しようと思う。コラムとして脇道に逸れた書き物もしたので、このあたりは適宜興味に応じて読み飛ばしてもらえればと。
京都からボストンに移り、 Northeastern University の Network Science Institute で PhD を始めることになった。引越しや新生活の立ち上げは一筋縄ではいかなかったものの、ボストンの住環境や、多様なバックグラウンドを持つ同期との交流を通じて、新しい環境に意外なほどすんなり馴染むことができた気がする。ネットワーク科学という学問の持つ柔軟性や可能性に触れながら、研究や学びへの意欲も自然と湧いてくる。授業や課題を進める中で、自分が好きなことやアウトプットの重要性についても新たな発見が多かった。アメリカのフラットでフェアな研究環境には強く感銘を受ける一方で、日本との違いについて考えさせられることも少なくない。研究テーマの探索や生活改善に取り組みつつ、この PhD 生活を引き続き楽しんでいきたい。
目次
どこで何をしているか
Network Science Institute
今どういうステータスで何をしているのかをちゃんと伝えられていない人も多いので、現在の状況を整理しておく。今年の9月から、マサチューセッツ州ボストンにある Northeastern University の Network Science Institute (NetSI) というところで PhD in Network Science の学生をしている。この PhD プログラムは5年制なので、少なくとも2029年の夏頃まではボストンにいる予定。

一緒に入学した同期は9人。出身国はインド、中国、イギリス、メキシコ、アメリカ、そして日本(自分)で、 PhD 入学前の専攻は統計、数学、コンピューターサイエンス、物理、疫学などとかなり多様性に富むコホートになっている。出身も受けてきた教育も専攻も異なる中で波長が合うのは、コミュニティとしてのマッチングプロセスである入学審査 (admission) がうまく機能しているのだと感じる。おおよそ Statement of Purpose と推薦状だけで、ここまでコミュニティにフィットしたコホートをつくることができるのは率直にすごいなと思う。

ネットワーク科学とは
Network Science は日本語では「ネットワーク科学」と直訳できるが、この単語だけではどのような学問なのかがいまいち伝わりにくい。平たく説明すると「さまざまな現象をネットワークという数理的な手法によって解き明かす学問」あるいは「その方法論そのものを探求する学問」といった感じになる。ネットワーク科学はあくまでも数理的な「手法」に過ぎないのでその応用先となる学問領域はかなり幅広く、あらゆることにつなげることができると言っても過言ではない。少し例を挙げると、人と人とのつながりも、感染症の伝播も、 Twitter のリツイートのような情報の拡散も、道路網を行き交う車の流れも、すべてネットワークとして考えることができて、それぞれをテーマにネットワーク科学の研究を行うことができる。ネットワーク科学の面白さというのは、抽象概念としてこのように文理の枠を超えて様々な事象を包括できる柔軟性を持つ点にあると個人的には思う。
さてせっかくなので、ネットワーク科学の歴史についても少しばかり触れておくことにしようと思う。グラフ理論等のネットワーク科学における数学の基盤は18世紀まで遡るものの、そこから独立して「ネットワーク科学」という学際領域に発展したのは、実はここ数十年ほどの出来事に過ぎない。1950-60年代にはマーク・グラノヴェッターの「弱い紐帯の強み」や、スタンレー・ミルグラムの「六次の隔たり」(six degrees of separation) に代表されるような人間関係ネットワークに着目した社会学研究が高まったが、この時点で高度なモデルはまだ多くは存在していなかった。その後1970年代にランダムグラフ理論が登場し、1990年代になって物理や複雑系の研究者が参入してきたことによって、スモールワールドやスケールフリーといった実在するネットワークの普遍的な特性を説明する物理モデルが提案されるようになった。数学の概念と実際の社会現象をつなげた学問としての「ネットワーク科学」の基盤が整うようになったのは、まさにこの1990年代といえるだろう。理論の拡充を背景として具体的な社会課題やテーマに応用した研究が行われるようになったのが2000年代以降のことで、さらにここ20年ほどでは計算資源とデータ量が指数関数的な増加を見せたことによって各応用領域での研究が活発になってきたという経緯がある。この分野の王道教科書である Mark Newman "Networks" の第一版が出版されたのも2010年と、まだまだ歴史は浅い。
なぜここにいるのか
また、ここでなぜ自分が NetSI にいるのかという点についても整理をしておきたい。回顧的に点と点を繋げて整理した側面もあるが、自身の興味は一貫して「さまざまな社会現象をデータと数理モデルによって解き明かす」ことにある。具体的には学部 (SFC) ではビッグデータを用いた景気指標の予測などに取り組んでいたほか、修士は京都大学 SPH で感染症数理モデルによる効果的な感染症制御などの研究に取り組んできた。いずれも扱っている対象やアプローチ自体は異なるものの、社会現象を数理的に解明するという点で自分の中では一貫しているつもり。まだ青写真レベルに留まり具体的な研究計画にまでは落とし込めてないけれど、 PhD では特に現実社会で観測される時空間データを活用して、人々の行動とつながりの異質性に着目した感染症の伝播をテーマに研究ができればいいなと思っている。
社会現象をデータと数理モデルを通して解明する
PhD進学にあたってさまざまな分野の大学院 (School of Public Health/Engineering/Social Science etc.) がありえた中で「ネットワーク科学」という手法にたどり着いたのは、修士時代の研究の影響が大きい。感染症の伝播をモデル化する方法としては、人口を感染状態に応じて複数の集団(群)に分けてその群間の変化を微分方程式として記述する SIR (Susceptible-Infectious-Recovered) モデルなどの区画モデル (compartment model) を用いることが一般的で、これはマクロの視点で流行動態のプロジェクションをするのには非常に有用なツールだと言える。一方でこのアプローチは「各群に属す人々がそれぞれ同じように(均質に)振る舞う」という強い仮定のもとに成り立っているため、現実社会で見られるような行動特性・都市の中での移動・人と人との接触パターンといった細かい要素の異質性を組み込むことが難しいという課題を持つ。(もちろん実際の研究では性年齢によって各群をさらに細分化したり、SIR 以外の状態を示す区画を追加したり、さまざまなパラメータを追加したりといった高度な工夫がなされている。)これらの要素をいかに組み込むかということを考え始めるなかで、集団(個体群)ではなく個人個人に着目してモデル化するネットワーク科学のアプローチの可能性を認知するようになった。
集団全体ではなくその中に含まれる個々人の状態を考慮することになるため計算量は大きくなるものの、人々がネットワーク上に繋がっていてその接触の中で感染症が伝播していくことを考えると、このアプローチ自体は極めて自然なものだと思える。人々の街中での移動や接触情報を大量に収集・定量化することができるようになり、それを用いて個体ベースの計算ができるようになったのはムーアの法則のおかげと言うほかなく、研究者の卵としてはとても面白い時代を生きているなと思う。ちなみに所属するラボの PI は、実世界で観察されるような複雑ネットワークにおける"感染"現象の解明に先駆的に取り組んできた研究者の一人 1 2 なので、2年目以降の研究活動を楽しみにしている。
アメリカでの生活
さてイントロが長くなってしまったが、ようやく本題に入っていきたい。まずはアメリカでの生活について。
引越しと新生活
渡米してからの4ヶ月を振り返って一番大変だったことは授業でも課題でもなく、引越しと新生活の立ち上げだったなと思う。Northeastern University には大学院生向けの住居がほとんど存在しないため、自分で部屋を探すことになった。ルームシェアも一瞬考えたが、渡米前日本にいながらボストンの地理・治安・交通事情・冬の天気の具合などを見極めつつ、条件の合う物件とルームメイトを探すのは極めてハードルが高かったので、ひとまずあらゆることを安全側に倒して、一人暮らしをすることにした。
いろいろオンラインで物件を見たものの、最終的にはオフィスから徒歩で20分ほどのエリアのアパートメントで Studio を借りた。築年数は長いものの、しっかりと管理されていてそこまで古さは感じない。一人暮らし向けの間取りとはいえ、部屋のサイズはアメリカ基準なので日本の一般的な1Kよりも広い。個人的にはこの2/3の広さと家賃ならいいのにと思うのだけど、そう都合の良い物件というのは市場に出てこない。(何より学期が9月から始まることから物件探しをしていた夏は不動産需要が高く、もたもたしているとすぐに他の人の申込みが先に通ってしまうという感じだったので、複数物件をじっくり内覧して吟味する余裕はなかった。)
日本からの引越しにあたっては、まずフライトの時にスーツケース3つを預け入れ荷物として持っていった。中身は主に衣類、パソコン周辺機器、食品、厳選した食器などがメインだけど、少し変わった物としては砥石や卵焼き器(四角い銅の鍋)なども詰め込んだ。エレベータの無い物件なので、スーツケース3つや注文した家具を1階から部屋のある4階まで階段で運び上げるのには本当に苦労した。 IKEA で買ったベッドフレームはなぜか建物のエントランスまでしか配達してもらえなかったので、お仕事依頼アプリで探したマッチョなお兄さんに部屋までの搬入をお願いすることでなんとか乗り越えた。(注文時に部屋まで配達するオプションを付けた気がするのだけど!)
システマチックな社会
何度往復しても終わりが見えず本当に大変な引越しだったけれど、それさえ乗り越えた今となっては、元々アメリカ生活への期待値が低かったこともあってか不自由のない生活を送ることができている。正直なところ、Amazon の注文がちゃんと次の日に(あるいは数日で)届いて、その箱の中身も壊れていないということには良い意味で衝撃を受けた。当初の期待値としては、50%の確率で「注文しても届かない」あるいは「届いても壊れているか玄関先で盗まれる」と思っていたくらいだったので、実際の体験は想像していたよりも何倍も良い。
日本基準で言えば当然完璧からはほど遠いものの、この国はあらゆることの不確実性を織り込んで堅牢なシステムを構築することに長けているなと感じる。配達された Amazon の荷物が壊れていたらアプリから LLM チャットに投げ込めば(物によっては返品することすらなく)一瞬で返金が行われるし、大学のスーパーコンピュータが不調のときはサポートにメールするか電話してチケットを切ればだいたい数時間で fix が行われる。ワクチン接種にしても、大手ドラッグストアチェーンである CVS のホームページから近場の店舗での予約が取れて、当日はウォークインするだけで待ち時間ほぼなしにさくっと打ってもらうことができる。これらの例に見られるように、この国の強みはやはり「システム」にあるのだろうと思う。
あくまでも仮説に過ぎないが、多くの民族と文化を内包する移民国家としての成り立ちからしてこの国には、各人の前提が異なることを所与としたシステムを作る文化が根付いているように思える。4ヶ月暮らしてみた体感では、ブルーカラー/ホワイトカラー問わずあらゆる仕事で要件が明確に定義されていて、それぞれの人は与えられた仕事だけをこなせばよいという仕組みになっているように見える。また、そこに IT システムを導入することによって、担当者ごとの仕事の属人性を徹底的に排するようにできていて、部分的な故障や欠陥があったとしても全体に対して大きな影響が出ない設計になっているようにも見える。
ここで述べた一点から、アメリカ社会が日本よりも優れているなどと主張するつもりはないが、日本がこの国のシステムの作りから学べることは少なくないと思う。見かけの上では完璧のようでいて実はぐらぐらのネジ一本でなんとか形を留めているシステムよりも、部品が数個故障したとしても常に75%のパフォーマンスを維持して安定稼働し続けるような冗長設計のシステムの方がいい。これらの仮説については、それぞれ強みと弱みの両面から今後改めて検証していきたいと思う。
ちなみに一生活者としては、自分からアクションを取って「まあそんなもんだよな」と気楽に待つマインドセットさえ持っていれば、割とストレスも溜まらない。4ヶ月ボストンという街に住んでみて違和感なくすこぶる快適にやっているので、少なくとも生活面で不安を感じることなく5年間やっていけそうだなと思う。(こんなことを言えるのは、分業システムの中でたらい回しされていつまでも解決しないようなエッジケースにまだ当たっていないからかもしれない。)
インターネットで繋がる世界
日本から1万km離れているとはいえ、光ファイバーが地球全体に張り巡らされている現代において情報やコミュニケーションの壁はほぼ存在しないと感じる。ニュースは当然のようにリアルタイムでプッシュ通知が飛んでくるし、日本の新聞も朝刊が出た瞬間に読めるし、本も発売日に電子書籍で読むことができる。東京リージョン-ボストン間はだいたい往復 200 ms 弱で安定していて、重めのトラフィックもバッファとキャッシュを駆使すれば割となんでもいけてしまう。一回 IP パケットになってさえしまえば、世界中どこまででも届けることができるインターネットという技術は本当に素晴らしいものだなと思う。
(あえて脱線すると、アメリカは部屋あるいは建物まで光ファイバーを引く FTTH/FTTX の普及率が日本ほど高くなく、同軸ケーブルを使う CATV インターネットが主流。ただし同軸だから遅いかというとそんなことは全くなくて、今普及している DOCSIS 3.1 規格では下り 10 Gbps / 上り 1 Gbps まで対応している。 Xfinity/Comcast で契約している自分の部屋では実測で下り 926 Mbps / 上り 176 Mbps も出ていて、太平洋を越えて送られてくる重めのトラフィックも詰まることなく安定している。)
おそらく最大の壁はどうやっても乗り越えられないのは時差くらいで、それを除けば本当にだいたいのことはインターネットがあればなんとでもなってしまう。もはやこの時代には当たり前だけど友達とメッセージで連絡を取ることもできるし、FaceTimeで外を歩きながらでも高画質高音質で無料で通話することもできる。このほか実家に設置したサーバに Tailscale 経由で常時接続することで、場所に縛られることなくさまざまなサービスを享受している。平日は帰宅して夕食の準備をし終えたくらいのタイミングがちょうどお昼なので正午のニュースを生で見ていることが多く、あとは気が向いたタイミングで録画したニュースやドキュメンタリーを見たりしている。週末の夜はどちらかというとラジオを付けていることが多く、「日曜討論」、「爆笑問題の日曜サンデー」、野村正育アナウンサーの「マイあさ!(8時台)」あたりをよく聴いている。(コンテンツを聞くだけでなく、そのためのプロキシ/APIサーバや Apple TV アプリなど一連のシステムを開発することも、オフの楽しみの一つ。)
技術的にニッチな話としてはつい数週間前、自宅サーバに Asterisk と呼ばれるIP電話サーバを構築することにも成功した。これによってボストンにいながら手元の iPhone から実家の固定電話回線を使って、日本国内の番号に電話をかけることもできるようになった。(My050の050番号を別に維持しているにも関わらずこんなことをしたのは、050番号から発信できないナビダイアルへの電話や、固定回線からの本人確認が必要なシーンがあったため。)
食生活
個人的な思い入れの強さから技術的に込み入った余談ばかりを書いてしまったので、もうちょっと普通の生活の話についても触れておこうと思う。まず食事については、思いのほか困ったことがない。普通のスーパー (Whole Foods Market, Trader Joe's, Star Market, etc.) はもちろんのこと、日系スーパー (Maruichi) や韓国系スーパー (H mart) も家から30分圏内にあるので、日本と特に変わらないような自炊生活を送ることができている。
Coolidge Corner にある Maruichi は日本の都心の小型スーパーくらいのサイズ感で、想像しうるほとんどの日本の食材が揃う。例を挙げ始めるときりが無いが、調味料一式(ポン酢・焼肉のタレなども!)、お米、納豆、刺身、薄切り肉、ネギ、海苔、出汁の素、七味など、値段は高いもののあらゆるものが普通に売られている。買おうと思って必死に探して見つからなかったのは「青のり」といったニッチ食材くらいだった(「あおさ」はあったのだけど)。渡米直後に調味料類を一通り揃えてからは月に1回行く程度だけど、たまに行くと日本の気分を感じられて良い。Maruichiより少し近い場所にある St. Mary's Street 近くの H mart には週に1回程度行っていて、ここでは冷凍の薄切り肉、キムチ、冷凍うどんをよく買う。またオフィス近くに日本にも上陸しているイタリアンマーケットの Eataly があるので、ここでプロシュート、チーズ、パスタなどを買うことも多い。
手の込んだ料理はそこまでしないけれど、気軽に日本の味を楽しめるので冷凍うどんと「ヒガシマルのうどんスープ」を使ってうどんを作ることが多い。元々うどんが好物なので、お揚げを煮てきつねうどんにしたり、卵を落として月見うどんにしたり、薄切り肉を入れて肉うどんにしたり、カレーを作った次の日にカレーうどんにしたりと、他の料理を交えつついろんなうどんのバリエーションを楽しんでいる。
ちなみに Thanksgiving の時に同期と Potluck Party をした時に、「混ぜ込みわかめ」のおにぎり・だし巻き卵(白だしベースのしょっぱいもの)・卵焼き(砂糖の入った甘いもの)の三品を持っていったら、どれも好評だった。出汁の魚っぽさが苦手かなと思いきや、そうでもなかったのが個人的には学びだった。
バランスのよい街
ボストンに住んで4ヶ月が経ったけれど、この街は自然と都市がほどよく調和したバランスの良い街だなと思う。公共交通も一応ワークしているし、何よりそれらや自家用車を利用せずとも満足に生活できるウォーカブルな都市であることが個人的にはとても気に入っている。普段いるエリアを東京で例えると、神谷町・上野・代々木公園・神宮外苑がぎゅっと5km平方に凝縮されているという感じだろうか。(Backbay のオフィスエリアが神谷町、Emerald Necklace と呼ばれる緑地帯と球場のある Fenway / West Fens エリアが代々木公園と神宮外苑、ボストン美術館のあるエリアが上野に対応するイメージ。)
自然を感じられる空間は街の中にたくさんあるけれど、個人的には中でも Charles River Esplanades が気に入っている。チャールズ側沿いに整備されているこの遊歩道には木々がたくさん植えられていて、寒くなる前は川の流れを感じながら散歩したり、ボートのドックで寝転がって読書をするのがとても気持ちよかった。天気さえ良ければこの場にはいつでも良い空気が流れていて、昼寝をしている人もいれば、Trader Joe's でパンやチーズを買ってきてピクニックをしている人もいたりする。

このほか、ボストンで気に入っているのは Symphony Hall でクラシック音楽にたくさん触れることができるということ。このホールは現在アンドリス・ネルソンスが音楽監督として率いる Boston Symphony Orchestra (BSO) の本拠地で、その演奏を日常的に聴くことができるというのはあまりにも贅沢だなと思う。それもオフィスがホールまで徒歩3分という好立地にあるだけでなく、College Card(シーズンあたり$35) を買うとほとんどの公演のチケットを無料で入手できるのだから、その充実度は並大抵ではない。これほど恵まれた音楽環境に身を置くことは、人生の中でもこの5年間ぐらいだろうなと思う。12月末までで BSO を4公演、ベルリンフィル1公演、その他室内楽1公演を聴くことができた。
授業
生活の話はこのくらいにして、そろそろ大学院の中身の話に移る。
一年目は授業に集中すれば良いとの指導教員の方針で、基本的には授業を受け課題をこなす日々だった。今学期履修したのは Network Science 1 (PHYS5116) と Network Science Data 2 (PHYS7332) の二科目。成績はいずれの科目でも、最もよい評定であるAを取ることができた。以下では自身の記録を兼ねてそれぞれの授業を軽く紹介する。
Network Science 1 (PHYS5116)
Network Science 1 は、分野の第一人者ともいえる Albert-László Barabási 教授によるネットワーク科学の入門コース。インターネットで公開されている教科書(日本語版は共立出版から出版)の各チャプターを、一回の授業でカバーしていくスタイルで進行していった。基本的には座学が中心で、課題は最終課題を含めて4つだった。これまで Scale-Free Network といった概念3 は聞いたことがあってもその背後にある数式の導出まで詳しく勉強したことはなかったので、その発見者である張本人からネットワーク科学の基礎を網羅的に学べたのはとてもよかった。これこそ Network Science Institute ならではの体験だなと思う。
最終課題は "competition and cooperation" をテーマに何らかのデータを選び、それについて network science 的な分析をしてみるというもの。履修者は20人ほどだったが、フィギュアスケートの対戦ネットワーク、サッカーチーム間の移籍ネットワーク、研究者のコラボレーションネットワークなど、扱うデータは本当にさまざまだった。自分は Crunchbase が公開していたデータを使って、2013年までのスタートアップと投資家の投資ネットワークを分析した。具の解析は大したものではないので省くが、綺麗なビジュアライゼーションを作ったのでここではそれを紹介する。

この図はVCを含む投資家と出資を受ける企業のネットワークを、それぞれの専門領域という切り口で可視化したもの。円の下半分 (Other) からさまざまな分野の企業に投資が行われているのがわかるが、これはデータ上では特定分野に特化した VC は全体の 4 %しか存在しないため。ソフトウェア産業、 Web 産業、バイオテクノロジーなどに多くの投資集まっていることが見て取れる。元データを Excel に読み込んでクロス集計すれば同様の情報を数字として出せるが、こうして手間を掛けてアート的に可視化するのも悪くない。(プレゼン映えする!)
コラム: Barabási-Albert モデル
日記や振り返りという文章の趣旨からは離れるものの、学んだことのエッセンスを分野外の人に紹介する試みとして、コラムも挿入してみようと思う。
Albert-László Barabási 教授は Scale-Free Network というネットワーク構造を発見したことで特に有名で、その構造に従うネットワークを反復的に生成するモデルが Barabási-Albert モデル (BA モデル) として知られている。スケールフリー・ネットワークの特徴は次数分布 (degree distribution) がべき乗則 (power-law) に従うというもので、この特性は実社会のさまざまなネットワーク(インターネット、ソーシャルネットワーク、タンパク質の相互作用ネットワークなど)において観察されることがわかっている。
Barabási-Albert モデルは主に二点のメカニズムに基づく。一つはネットワークが時間とともに成長し、各時点で新しい node が追加されていくという性質 (Growth) 。もう一つは、新しい node が既存 node のうち次数 (degree) が大きい node に優先的に接続されるという性質 (Preferential Attachment) 。より具体的に説明すると、ネットワークの生成過程では、毎ステップ一つの新しい node が追加され、その node は既存のネットワークの中でつながりを多く持つ node に優先的に接続する。接続確率は node $i$ の次数である $k_i$ の関数として、次のように表される。
$$ \Pi(k_i) = \frac{k_i}{ \sum_j k_j } $$
以下に、2つの node から構成されるネットワークを初期状態 (Step 0) として、ネットワークを生成していく様子を可視化した図を示す。
初期段階ではネットワークの特徴がつかみにくいが、Step 50あたりになると、多数の edge を持つ特徴的な node(いわゆるハブ)が現れることが確認できる。「次数分布がべき乗則に従う」とは、ハブのような「多くの接続 (edge) を持つ node 」がごく少数存在し、「接続数が少ない node 」が大多数を占める状況を指している。
この特性の現実的な意味合いを考えるため、Step 300 で生成されたネットワークを交友関係ネットワークと仮定し、その中で伝言ゲームを行う場面を想定してみる。多くの知り合いを持つ「ハブ」にあたる人から伝言ゲームを始めると、ネットワーク全体に情報を効率よく拡散できる。一方、接続数が少ない周辺部の人物から始めた場合、ハブに到達するまでに複数のステップを要するため、ネットワーク全体への情報拡散は遅れてしまう。このように、ネットワークの構造は情報の拡散速度や効率性に大きな影響を与えることがわかる。
さらに、BA モデルを用いて N=50,000 までネットワークを成長させ、その次数分布をプロットした結果が以下の図となる。
X軸 (次数)とY軸(その確率密度)をいずれも対数スケールで示したこの図では、単調減少の一次関数に近似されるトレンド(直線)が見られる。この直線こそが「次数分布がべき乗則に従い、ネットワークがスケールフリーの特性を持つ」ことを示している。
Network Science Data (PHYS7332)
履修した2つ目の科目である Network Science Data 2 は、ネットワーク科学におけるさまざまな概念やモデルを Python で実装しながら理解していくというハンズオン型の授業。各回、以下のような Jupyter Notebook 形式の授業マテリアルが用意されていて、既に書かれたコードや数式を追いながら、自分たちでもコードを書いてみるという形で進行していった。
これまであまり触ったことのなかったnetworkx
というPythonパッケージの扱いに慣れるだけでなく、さまざまなアルゴリズムをスクラッチで実装する経験ができたという点で、とても実践的な学びを得た。またこの授業では「可視化」にも重点が置かれていたので、matplotlib
を使った Figure 作成にもだいぶ慣れて、かなり意図したビジュアル表現ができるようになった。
課題は最終課題を含めて4つ。最終課題は授業マテリアルと同じ形式で、教科書の一章を書くというものだった。授業でカバーしていない内容であれば何でも良いとのことで、自分は "Network Efficiency and Flows" というテーマを設定した。具体的には「最大フロー問題」や「最小コスト問題」に代表されるネットワークフローの最適化問題を扱い、その理論や構成概念の説明、アルゴリズムの説明とスクラッチ実装、実際のデータへの応用といった内容を盛り込んだ。
振り返りの節でまた詳しく触れようと思うが、文献や教科書を読んでまず概念を理解し、それを学習者がわかりやすいようにかみ砕きながら、身近な例などを取り入れつつコンテキストを設定しながら授業マテリアルを書く、という過程そのものが自分にすごく合っているなと感じた。コードと説明でかなりの分量にはなっているものの、Figure も説明も実装も結構な自信作になっているので、ぜひちょっとだけでも覗いてみてほしい。今学期のハイライトはこれといってもいいくらい楽しい課題だった。

コラム: 最大流問題と航空ネットワーク
最大流問題とは、有向グラフにおいて流量を最大化する経路を求める問題。現実社会の例では、街中に張り巡らされた水道管のネットワークを使って考えてみるとわかりやすい。浄水所から街中の任意の地点まで水を流すと仮定すると、流すのにはさまざまな経路が考えられ、さらには複数の経路を組み合わせれば(水道管のキャパシティという制約の下で)よりたくさんの水を流すことができる。最大流問題の発想はこれと全く同じで、「どのような経路を選択すると最大どのくらいの流量を流せるか」を解く問題のことを言う。
数式は省略するが、ここで飛行機の航空ネットワークを使ったケースステディを紹介したい。アメリカの国内線ネットワークは以下のように全土を埋め尽くしているが、その全ての路線をフル活用して乗り継ぎ回数に制限を設けない場合、東海岸のボストン・ローガン国際空港 (BOS) から西海岸のシアトル・タコマ国際空港 (SEA) には一日でどのくらいの乗客を輸送できるだろうか。
もちろん BOS-SEA の直行便は経路としてあり得るが、このほかにもたくさんの組み合わせが考えられる。例えば、ボストン(BOS)-ニューヨーク(JFK)-サンフランシスコ(SFO)-シアトル(SEA)など。全米の空港が5ヶ所ほどだったら手で計算ができそうだが、上の図を見てもわかるように今回のネットワークではそんなことは不可能なので Augmenting path algorithm を使って計算機上で解く。ちなみにこのアルゴリズムは提唱者の名前を取って Ford-Fulkerson algorithm としても知られている。
細かいアルゴリズムの中身についてはJupyter Notebookを見てもらえればと思うが、これを使って解いてみると、75個の経路を使うことで最大37,120人の乗客をボストンからシアトルに運ぶことができるとわかる。
実際に Google でフライト検索をして、直行便だけを使う場合の輸送力と比較してよう。直行便は一日に5本ほど出ていてそれぞれ200人弱の定員の機体を使うことが一般的のようなので、あらゆる乗り継ぎルートを許容することで 200*5=1000 の37倍近くの乗客を輸送できるという粗い計算になる。
マリナーズ対レッドソックスで激戦が予想されて、ボストンからシアトルに大量にファンが駆けつけるとなったときも、これなら理論上はなんとかなりそうだ。(マリナーズの本拠地である T-mobile park の収容人数は46,116人)
注:今回計算に使ったネットワークでは路線ごとの合計旅客数しか考慮しておらず、実際の出発時間・飛行時間・到着時間による乗り継ぎの現実性を加味していない。
振り返り
続いては渡米からの4ヶ月を KPT (Keep-Problem-Try) で振り返ってみようと思う。
Keep
まず一つ目は、アメリカ生活にうまく順応できたということ。一ヶ月を超える長期で海外に住むのも、日常生活の全てが英語で完結するのも実はこれが人生で初めてで、日本から1万 km 以上離れた全く新しい環境に馴染むのには結構な時間が掛かるかなと予想していた。でも実際にはカルチャーショックも全くといっていいほど無く、自分でも驚くほどにすっと馴染むことができた。一人暮らしにしたこともあって自分の中のリズムや生活習慣をキープすることができたこと、食材的にもキッチンの広さ的にも自炊できる環境が整っていて食事で困らなかったこと、などが大きく効いているように思う。ボストンという街そのものも都市と自然のバランスがちょうど良くて、自分に合っていた。チャールズ側沿いの遊歩道を散歩したり、オーケストラの演奏を聴きに行ったりと、気分を変えるためのオプションが徒歩圏内で広がっているのが気に入っている。同じアメリカの中でも、別の場所だったら体験は大きく違うだろうと思う。来学期以降も、生活の安定を最優先にしていきたい。

二点目は、無理をせずに楽しみながら勉強に集中できたということ。上述の通り生活面が安定していたので、不要な心配を抱えることなく授業や課題に取り組むことができた。アメリカの大学(院)で授業を受けることも人生で初めてだったので、その負荷が耐えうるものなのかが正直なところ未知だった。授業第一週はわくわく9割・心配1割といった心持ちだったけれど、いざ始まってみればなんてことなくこなすことができた。課題のボリュームもそれなりに大きかったけれど徹夜することもなく、managable な範囲内だった。自分自身はどちらかというと締め切り前に一気に仕上げるタイプの人間なのだけど、それぞれの授業で学期を通して3つほど課題が出て、それとは別に大きい最終課題がある中で、計画性を持って取り組むというスキルが自然と身についたように感じる。(徹夜して一夜で 120 %を出したところで終わる量ではないから、否応なく計画性を身につけざるを得ないと言った方がおそらく正しい。)PhD プログラムでは成績は正直そこまで問われないとはいえ、いずれの授業も A を取って学期 GPA 4.0だったのは非常に達成感がある。
いかに勉強を楽しむかという観点では、「手を動かす」ことと「コンテキストを設定すること」の2つが有効だったと感じるので、これは次学期以降も継続したいと思う。数式の細かい導出課程を追ったりコードとして実装したりするなどの形で手を動かす中で、新たな疑問が浮かび上がってきたり、理解が深まっていくのを肌で感じることができた。また、学習している内容にもよるが「その理論がどのように応用されるのか」「どのような経緯で提案されたのか」「別の理論とはどのような点で共通しているのか」など自分なりのコンテキストを設定することは、日々新たに習得する知識と知識のつながりを強固にし、学び続けるモチベーションを高めることに寄与していたと感じる。
三点目は、自分が何が好きかという自己理解を深めることができたこと。勉強すること(新たに知識を身につけること)は元々好きだなと思っていたのだけど、その過程で「形のあるものとしてアウトプットすること」が自分の性格に合っていることに気が付いた。具体的なアウトプットプロセスの例としては、コーディングすること、Figure をつくること、さらにはどのようなコンテキストを設定したら理解が進みやすいかを考えながら順を追ってわかりやすい文章を書くこと、など。特に文章を書くという点では、上で述べた二つ目の授業の最終課題に取り組む中で「いったん目次を書き出してみて、細々書ける部分を書き進めていって、最後に細かい修正をすれば意外と大変な思いをせずにボリュームの大きい書き物ができる」ということに気が付けたのはとても大きな収穫だった。アウトプットドリブンの良いところは目に見える成果物が生まれて達成感があることだけでなく、その過程で自分の中での理解度も高まるというところにあると思う。他人に伝わるわかりやすいアウトプットを生むためには、自分の中の不明点を少しでも多く解消した上で、相手に合わせてコンテキストやストーリーを設定する必要があるから。
四点目は授業や課題がある中でも、趣味の本をそれなりに読むことができたということ。学期終盤はあまり余裕がなくあまり進捗が芳しくなかったけれど、 Instagram で短いブックレビューを投稿するようにしていたことが読書のモチベーション維持につながっていたと思う。本の話はまた別の節で詳しく触れる。
Problem
渡米後初学期にしてはかなりうまいことやったなと本音では思いつつも、更なる発展に向けて Problem にもちゃんと向き合っておきたい。
Problem の一つ目は、良くも悪くも「こんなもんでいいか」と妥協をした部分がいくつかあったということ。パーフェクトを目指しすぎて 120 %出し続けてメンタルをやられたことが過去にあったことを踏まえると、妥協できるようになったのは一つの成長だなとも思う。自分の性能限界を理解した上で、安全係数を加味した負荷までしか掛けないように自己管理ができるようになったとも言えるし、相手の要求水準の査定を大きな誤差なくできるようになったとも言える。ただやっぱり、自分の中で本当の意味でのベストを出せていないということに不完全燃焼感が否めない。今学期は成績の点ではすこぶる良かったものの、安全係数を加味した最大限を100点として80点のアウトプットしか出せなかったことが自分の中で引っかかっている。まだまだ100点までこだわれるところがあるので、(もちろん無理のない範囲で)もっと頑張れるところは頑張りたい。あるいはセーブすることに成功した余力分を、 non-incremental な成長に繋がる何かに対して投資していきたい。
二点目は、上記妥協ともつながるけれど予習復習に十分に取り組むことができなかったということ。今学期は課題に取り組むタイミングで改めて勉強しなおすという形で乗り切った側面が大きかったような気がしていて、学習内容の本質的な定着という観点では必ずしもベストではなかった。何かを学ぶときにはその質も大事だけれど、ある程度は量によって担保される部分もある。 Quailfication Exam に向けては網羅的・体系的・本質的な理解が重要であると認識しているので、ルーティンとして予習復習にリソースを割くことで、さらなる定着を目指していきたい。
三点目は生活面。やはりボストンでの生活コストはかなり高く、特に家賃と食費にかなりの金額が消えて行ってしまっているという現状がある。夜ごはんはだいたい自炊していたものの、ランチはオフィスの近場でテイクアウトして済ませてしまうことが多かったので、これが大きな出費になっていた。弁当作りは一つの趣味として好きなのだけれど、現状はこだわりすぎてしまうが故にサステナブルではないという課題があるので、もう少し気を抜いた弁当を開拓していければと思う。このほか生活面では、どうしても午後から活動開始しがちだったので、朝型生活にシフトしたい。また運動不足な面が否めないので、まずは週1のウォーキング(散歩)くらいハードルを下げたところから、生活改善に取り組みたい。
Try
Try についてはたくさん思い浮かんだので、箇条書きで書いてみる。
- あらゆることにアウトプットドリブンで取り組む。どのような立て付けにするかは現時点であまりアイデアがないが、ブログについても定期的に書くようにしたい。
- 日々の生活の中で感じたことを種に、たくさん読んでたくさん書く(brain dumpして言語化する)というサイクルを強化する。他方で要点を押さえた短い文章を書くスキルについても意識する。
- 無理のない範囲で自分にストレッチを掛けて、頑張れるところはもっと頑張る。これは課題に取り組む姿勢はもちろんのこと、授業でもっと臆さず発言するなども含む。引き続き楽しむことを最優先にする。
- 上記を実行するためにも、学期あるいは一年の中でのマクロな展望を持つ。この時期は忙しい/余裕があるなどの目安を持つことで、時間と体力をより効果的に配分できるようになるはず。
- 広義のプレゼンテーションとコミュニケーションにエフォートを割く。(知的生産や情報処理についてはAIが代替しうる部分がかなり多く、それらを使いこなせば誰でも似たような成果を得ることができるようになってきた。AIを使ったとしても自分の頭でまず理解するというのは大前提として、このような時代の変化の中で評価を差別化しうる要素は「聞き手に対していかに適切な演出と発信ができるか」という点なのではないか、という仮説を持っている。public speaking についてはこれまでそこまで優先順位を高めて取り組んでこなかったものの、今だからこそ向き合う価値があるだろうと思う。)
- 時間と労力を投下する対象に対して、それが incremental/non-incremental のいずれの成長に繋がるものなのかを意識する。目の前のことに全力で向き合うだけでも過去の自分が想像し得なかった領域にたどりつくが、そのさらに先を行くためには non-incremental な成長の種をまく必要があるのではないか。(必ずしもその種がつぼみになるとは限らないが、種はまかなければいつまでも咲かない。)
- オンモードの時には強めの socialize スイッチを入れる。(アメリカ社会への適応)
- 忙しいと本に触れなくなりがちだけど、極力寝る前に1ページでも読むようする。
- カメラで写真を撮る!(治安的な不安感があってカメラを首から提げることに少し抵抗があったけど、最近は大丈夫だなと思えてきた)
- 研究の義務がない学期なので、研究のネタを求めて時に分野を超えて explore する。トップジャーナルの記事をウォッチする。
気づき
フラットでフェアな組織
アメリカの大学院に来て感じたのは、組織もそこにいる人もフラットで、フェアな評価がされているなということ。序列のようなものをあまり感じず下の名前で呼び合うような文化があるからこそ、会議室や教室がフラットな質問や議論に開かれているように感じられる。これはお国柄の違いもあれば、そもそもの言語の違いによる影響もあると思う。自分自身、英語で話している時と日本語で話しているときで、思考回路やコミュニケーションスタイルが変わるのを感じる。
また、組織面で感じた一番の違いはそこにいる人達の多様性。ここはアメリカだからさまざまな国籍/人種の人がいるのは当たり前として、男女比がフラットだということが特に最初の一ヶ月はすごく鮮明に写った。日本にいたときには日本のスタンダードに染まっていて大きな違和感を感じていなかったものの、こちらにきて日本のアカデミアは男性社会だなということを痛感せざるを得なかった。 PhD の学生も、若手教員も、リーダーシップロールにいるシニアな教員も、性別に関係なくパッションがあり能力のある人がいるように感じられ、この日米の差は一体何なのだろうと考えさせられるばかりだった。日常生活の中でフラットな組織像を目の前にする一方で、SNSでは日本の大学入試の女子枠設置を巡って「不公平だ」「逆差別だ」などの言論を数多く目にし、その差にやるせなさすら感じた。また、京都大学での学位授与式で壇上にいた20人近くの執行部教員の中に女性が1人しかいなかったときに覚えた絶望感が、改めて痛烈にこみ上げてきた。一体どこから変われば(変えれば)前に進むのだろうと悶々とする日々だった。
仮説ベースだが日本社会全体に対して代表性を持つような、フェアに人材が登用された組織をつくるためには、以下のようなことを同時進行で進めていくことが必要なのではないかと妄想している。
- 高校生の進路や文理選択のタイミングで周りにいる大人たちの意識改革(親、学校・塾の先生たちのアンコンシャスバイアスの解消)
- 友達でも親や先生でもない「斜めの関係」にあたる外部のメンターや先輩との交流の促進
- アファーマティブ・アクションや総合型選抜の拡大を含めた大学入試改革
- 県人寮における女子学生の受け入れ促進(多くの県人寮が歴史的な経緯と財政的制約から男子学生のみ受け入れしている現状がある)
- 大学教員や執行部における女性比率の向上
- 男性パートナーの育休取得率向上、学内保育所の設置を含めた包括的な子育て支援制度の整備
- 各キャリアステージにおけるロールモデルの見える化とマッチング
- 博士人材の民間登用の拡大(安定した雇用やポストという安心感の醸成)
- 出産・子育てなどのライフイベントによらず、研究キャリアや研究費の連続性を担保する仕組みの整備
- 学内におけるDEIの推進
- 学内業務のDXと適正化による教員事務負担の低減
主語を大きくして過度に一般化するつもりはないが、少なくとも今見えている範囲ではアメリカの大学院や研究機関には、実力とパッションのある人材がフラットに評価され、伸び伸びと活躍しやすい素地にあるように感じる。日本が失われた30年から抜け出し再び成長をするためには、属性に関係なく誰もが自分らしく活躍できる土壌をまずつくることから始めなければならないのではないだろうか。
オープンで一体感のある研究環境
またこちらに来て感じるのは、研究環境が圧倒的にオープンで組織としても一体感があるなということ。これはアメリカの大学というよりも NetSI 特有のカルチャーかもしれないが、ラボごとの縦割り感が薄くて Institute としてのコミュニティ感を感じる。日本にいたときは研究室が"ホーム"という感覚が強く、研究科や専攻への帰属感はあくまでも二次的なものだった。一方で現在はまず Institute や PhD プログラムの一員であり、その上で内部のラボにも所属しているという感覚がある。この違いがどこから来るかと言えば、ソフト面(コミュニティを支えるオペレーション)とハード面(余白のある空間づくり)の二つが影響しているように思う。
ソフト面: コミュニティを支えるオペレーション
まずソフト面では、コミュニティづくりを支えるオペレーションが仕組みとしてかなりしっかり整備されている。具体的にはコミュニティビルディングにしっかりとコストが割かれていて、研究テーマが異なっていても自然と交流や議論が生まれるようになっている。MBA を持つ事務方スタッフが Institute としての予算でパーティーやオフィスランチを定期的に開催していて、これがラボの外の人とのつながりや一体感の醸成に寄与していると感じる。ラボ単位での懇親会や親睦会は日本でもよく聞くが、専攻・研究科などの単位で、有志ではない形でコミュニティイベントを定期的に開いているという話はあまり聞いたことがない。(日本の研究機関の場合はおそらく予算そのものと、マネジメントを担う専門職人材が足りないことが理由だろうなとは思う。)

また、ゲストスピーカーによる講演が週に2-3回開催されているが、こうしたイベントについても事務スタッフが実務的なオペレーションを回している。具体的にルーティン業務として行われているのは、ハイブリッド開催のための会議室Zoomのセットアップ、Institute全体へのメーリングリスト/Slackでの告知、イベント一覧を表示するデジタルサイネージへの反映、など。専門職としてオペレーション担当が配置されているからこそ質の高いイベントが開催できるようになっていて、教員は気軽にスピーカーを招待することができて、聞き手もコンテンツそのものに集中できる環境になっていると言える。日常的な交流や議論の場を整え、そのオペレーションに徹するスタッフの存在こそが、オープンで一体感のある研究コミュニティを支えているのだと思う。
ハード面: 余白のある空間
一方ハード面に目を向けると、オフィススペース自体の作り方にも工夫が感じられる。オープンフロアとなっているオフィスの奥には、長いダイニングテーブルが置かれた眺めのよいキッチンがあり、個人的にはこの空間こそが研究を生む源泉になっているとさえ思う。上のようなオフィシャルなイベントが開催されていない日でも、誕生日や季節の節目などにカジュアルイベントが頻繁に発生していて、自分自身もう数え切れないくらいケーキや季節のお菓子を食べた。
ちなみにキッチンにはコーヒーマシンや炭酸水も出るウォーターサーバーが設置されているほか、壁がホワイトボードになっていて、いつでもコーヒーを片手に仕事/議論ができるようになっている。コーヒーマシンがあるからなんだという声も聞かれそうだが、ランダムグラフ理論で知られる数学者 Alfréd Rényi が "A mathematician is a machine for turning coffee into theorems." と述べたようにコーヒーが研究者にもたらす価値は侮ることができない。

日本の大学院だとあまり見られない開かれたオフィス空間が、研究コミュニティとしてのオープンで collaborative な風土に一定程度貢献していることは間違いないだろう。小学校時代を文字通り壁がなく廊下と一体化した教室(オープンクラスルーム)で伸び伸びと過ごしてきた経験にも通じることがあり、教育や研究機関における空間設計の重要性を改めて感じている。シーラカンス・アンド・アソシエイツを率いた建築家・故 小嶋一浩さんは、部屋名と使われ方が一対一で対応している空間を「黒」、使われ方によって呼び方が変わる空間のことを「白」として整理していたが、今いるオフィスもその白黒のバランスが絶妙にできているように感じる。
余白への投資
パーティやオフィスランチによるコミュニティビルディングや、キッチンやコーヒーマシンといった空間/設備は、研究活動とは直接結びつかないようにも見える。しかし実際に体験してみた今、実はこうした要素こそが面白い研究の発想やコラボレーションを促す装置なのではないかということを考えている。
日本の科学技術・文教政策は「選択と集中」を掲げ、運営費交付金の縮小と競争的資金の拡充を進めてきたが、これは上で触れたような「余白」を切り詰める方向に働いてきたともいえる。再び科学技術立国を目指し、今後 20 年間で伸びる研究の種を育てるには、一見直接的な研究成果に結びつかない「余白」を許容できるくらい、寛大で大型の投資が必要なのではないだろうか。内閣府管轄の沖縄科学技術大学院大学 (OIST) が近年注目を集めているのも、潤沢な予算を活かして余白へ積極的に投資しているからのように思う。
読んだ本
さて最後に、今学期読んだ本についても記録を残しておく。特に興味を持っていたテーマとしては、アメリカ、フェミニズム、DEI (Diversity, Equity, Inclusion) 、日米の大学制度、安全保障・地政学・地経学、選挙・自民党・地方創生など。
やはりアメリカという新しい環境に移り住んだことでその社会制度について理解を深めたくなったという部分は大きい。フェミニズムやDEIについては、アメリカで属性に関係なく人々が活躍しているのと、日本の大学入試における女子枠設置がSNSで炎上していたのを同時に目の当たりにしたからこそ、多くを考えさせられた。日本における偏りをこれほど鮮明に感じたのも、外の環境に身を置いたからこそだと思う。また完全に読了していない関係でリストに挙げていない本もあるが、内政、外交、経済などの観点で日本という国について関心が高まった期間でもあった。
本当は読んだ本のレビューを書きたいなと思うのだけど、ここまで書いてきて余力が全く残っていないので今回はスキップする。
- 上村剛『アメリカ革命』(中公新書)
- 南川文里『アファーマティブ・アクション』(中公新書)
- 村井純『インターネット文明』(岩波新書)
- 藤原正彦『祖国とは国語』(新潮文庫)
- ミレヤ・ソリース『ネットワークパワー 日本の台頭』(日本経済新聞出版)
- 高村正彦『冷戦後の日本外交』(新潮選書)
- 細谷雄一『民主主義は甦るのか?』(慶應義塾大学出版会)
- 宇野重規『保守主義とは何か』(中公新書)
- 荻上チキ(編著)『選挙との対話』(青弓社)
- ベル・フックス『フェミニズムはみんなのもの』(エトセトラブックス)
- 江森百花・川崎莉音『なぜ地方女子は東大を目指さないのか』(光文社新書)
- ひと(と)『ワンデーガール(ズ) 「女の子」として生きるってどういうこと?』(かんき出版)
- 小泉武夫『漬け物大全 世界の発酵食品探訪記』(講談社学術文庫)
- 石井千湖『積ん読の本』(主婦と生活社)
- 小林早代子『たぶん私たち一生最強』(新潮社)
- くどうれいん『日記の練習』(NHK出版)
- 世界 2024年9月号「教育とジェンダー」(岩波書店)
- 世界 2024年10月号「暴力と政治」(岩波書店)
- 世界 2024年11月号「アメリカという難問」(岩波書店)
- 現代思想 9月号「読むことの現在」(青土社)
- 現代思想 10月号「人種を考える」(青土社)
- 現代思想 11月号「自治の思想」(青土社)
このほか読みかけた本も同じくらいの数あり、異国の地にいながらにして、日本にいたときのように積読が増加していった。むしろ新規購入分は完全に電子書籍に移行したこともあり、増加ペースは以前よりも早くなった気さえする。預け入れ荷物とは別に日本から船便で200冊ほど(うち教科書・学術書が50冊)持ってきたものの、届くまで2ヶ月半くらいかかったので電子書籍のある時代で本当に良かったなと思う。
本との出会いという観点では、日本にいたときは毎週ないしは2週間おきに丸善に行って、平積みと特集コーナーをまずぐるっと眺めた上でその時々で関心のある分野の棚の列を一通りチェックしていたのだけど、アメリカに来てそれができないのが個人的には不便だなと思う。完全な代替にはならないものの、最近は本の情報を求めて毎週末、読売、朝日、日経の書評欄に目を通して話題の書をチェックするのをルーティンにしている。読みかけでここに載せていない本も含めて振り返ってみると、各紙の書評委員の推薦図書ばかりを読んでいた気がする。この方法だとどうしても新刊に寄ってしまうのが課題だなと自分でも認識しているので、2025年は古典や名著を意識的に開拓していきたいなと思う。
(どんな分野でも良いので本のレコメンドがある方がいらっしゃいましたら、ぜひ教えてください。読書会、本や社会について話すPodcastをやるとかも面白そうだなと思うので、興味がある方がいらっしゃいましたら、こちらも別途連絡いただけたら嬉しいです!最近は以下リストに入っている本などが気になっています。)
おわりに
ボストンでの PhD 生活は、自分で想像していた以上にとてもいい感じ。日本を一ヶ月以上離れて生活するのもこれが初めてだったけれど、私生活も勉強面も自分のペースをうまくつかむことができただけでも大きな成果だと思う。新しい大統領のもとで不確実性の高い4年間が始まることが一つの懸念点ではあるが、この調子でなんとかしてサバイブしていきたい。

謝辞
このように充実したPhD留学生活を送ることができているのは、留学にあたり温かく応援し、ご支援くださる皆さまのお力添えのおかげです。特に、奨学金という形でご支援をいただいております平和中島財団の皆さまには、心より深く感謝申し上げます。
また、ボストンを訪れたタイミングで会っていただいた方々にも感謝いたします。これからボストンを訪れるにいらっしゃる予定がある方も、ぜひお気軽にご連絡いただければと存じます。
Pastor-Satorras R, Vespignani A. Epidemic Spreading in Scale-Free Networks. Phys Rev Lett 2001; 86: 3200–3203. doi: 10.1103/PhysRevLett.86.3200. ↩︎
Balcan D, Colizza V, Gonçalves B, et al. Multiscale mobility networks and the spatial spreading of infectious diseases. Proc. Natl. Acad. Sci. USA. 2009; 106: 21484–21489. doi: 10.1073/pnas.0906910106. ↩︎
Barabási A-L, Albert R. Emergence of Scaling in Random Networks. Science 1999; 286: 509–512. doi: doi: 10.1126/science.286.5439.509. ↩︎