minami.me/diary

日常の記録

上野駅公園口
iPhone 11 Pro, 2019/11/18

5年以上前に購読していたブログを読み返す機会があった。今はもうあまり更新されなくなってしまったけれど、当時は更新頻度も高くてよく読んでいた。そんな記事を読み返すなかで、その時の自分の生活を少し思い出した。また別のとき、自分の過去のツイートをさかのぼる機会もあった。「確かにこんなことがあったな」と具体的なエピソードを思い出すこともあれば、今となっては全く思い出せないような感情や出来事が記録されているのを読んでぽかんとしたこともあった。「何があって自分は怒ってたんだろう」などと。

こんな体験を通して自分の記憶の曖昧さを知るとともに、自分自身が経験したはずの過去であっても、そこから改めて新しい学びや気付きを得ることもあるのだと気がついた。

小説『マチネの終わりに』(平野啓一郎)の中で、主人公のクラシック・ギタリストである蒔野聡史は以下のフレーズを何度も繰り返している。

人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えてるんです。変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。過去は、それくらい繊細で感じやすいものじゃないですか?

ただでさえ未来によって過去が変わってしまうのであれば、その時に起きたこと、感じたこと、考えたことなどの記憶はこうやって「書く」ことによってしか固定できない。「過去が変わる」というと大げさに聞こえるけれど、「思い出補正がかかって過去のつらいことをほとんど思い出せない」ぐらいの体験は誰にでもあると思う。

こうしたことに気がついた今、僕はブログを書かなければいけないと思った。その時その瞬間に特別深い思考が生まれていないとしても、目の前で起きたことや些細な感情の変化を記録することが大事なのだ、と。記録しなければ、その情報や感情はただただ流れていってしまう。いつかの自分のために、僕は書くのだ。